皆さんこんにちは。

川平屋五代目の伊藤です。

最近、朝方は、寒さで目が覚める程、

ひんやりする季節になりましたね。

季節の変わり目はお身体を崩しやすい時期ですので

お身体にはご自愛下さいませ。

さてさて、本日は少し知識的なことをお話ししたいと思います。

それはズバリ着物の歴史についてです。

いろいろ諸説ありますが、

私が修業時代に習ったお話をさせて頂きます。

そもそも、一般的に現在の着物の原型は『小袖』で

あると言われています。平安時代の貴族は、袖がゆるやかで

幅の広い、大袖と言われる装束を着用していましたが、

この装束の下着がわりに着ていたのが、小さな袖の小袖でした。

また当時、小袖は庶民の労働着でもありました。

やがて平安時代から鎌倉時代に移るにつれて衣類の簡略化が進み

室町時代には小袖が一般的なものになりました。

以後、小袖は一重着として衣装の美しさを競うようになりました。

また、桃山時代になると、美術工芸の展開と共に、

染色技術も大いに発展します。中でも、辻が花は絞り染めに

緻密な挿絵や豪華な縫箔が加わり、絞、縫、箔が開花しました。

江戸時代に入ると、『慶長小袖』と呼ばれる独特の小袖が現れました。

これは絞り染めで全体の構図を染め分け、刺繍や摺箔が施された

大変豪華なものになりました。

やがて幕府の禁止令によって摺箔は姿を消すことになりますが、

その後に現れたのが寛文小袖です。これは、刺繍と鹿の子絞りによる

空間を生かした大胆な構図です。

江戸中期になると、宮崎友禅斉により、いよいよ友禅染が出現します。

自由な絵模様が美しく表現で着て、さらに町人の手に入りやすいという

ことで、大きな支持を得ました。そして鹿の子絞りや刺繍は

友禅染と併用される形となり、日本独自の友禅の服飾日がここに定着します。

この頃から、小袖の身八ツ口が開き、裄や袖が長くなっていきます。

やがて江戸後期は豪華な丸帯とその附属として帯〆が使われだし、

その後の現代のきもの姿へと続いていきます。

時代に合わせて、着るものにも特徴があったんですね。

着物は歴史や産地(大島紬や結城紬)などで、そのお着物が

なぜつくられたのか、関係しているので知れば知るほど面白いですよ。

気になった方は、川平屋でも毎月、珍しいお着物を展示会でお出ししておりますので、

ぜひお立ち寄りしてみて下さいね。

 

 

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